インスタントな寿司職人は自然淘汰されたんじゃね?

 私はよく自然淘汰的な考え方をいろんな分野で使うことが多い。中でも昔からの伝統とか習慣(ドーキンス的にはミーム)とかで、現在でも色濃く残ってる物はほかのミームに打ち勝って残ったんじゃないかと思っていたりします。



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 で、この人が言いたいこともよく分かるけど、でも江戸時代から現在に至るまで400年。そう言うことを考えなかった日本人が一人もいないとはどうしても思えないのよね。鍛冶屋さんとか芸能とかほかの分野でもいろいろ。だって私だって似たようなこと考えたことあるし。

 と言うことを考えると、実践してみた日本人だっていたはず。それがメジャーになってないと言うことは、既存の徒弟制度より優れた職人の教育方法にならなかった(自然淘汰された)と言うことじゃないのだろうか?と思う訳です。
 そもそも寿司自体がファストフードだし、寿司と言う料理を現在の地位(技術的な高みだけでなく権威付けと言う意味合いも)にまで高めるための徒弟制度何じゃないの?まあ、何が淘汰圧になったかはわかりませんが『今までは』現状の徒弟制度が一番優れていたわけです。もしくは回転寿司とかのニッチ(生物学で言う生態的地位)の棲み分けで似て非なるものとなるかですな。



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 日本では「異なる意見=相手嫌い」ではなく、「異なる意見をオブラートを包まずに言う=本当に相手が嫌いor空気が読めない(空気が読めない人間は日本人は嫌い)」なんだと思うけどな。まあ、こう言う考え方自体も、日本と言う国の中で自然淘汰的に残ったミームなんですが。