“シンギュラリティ否定派”の説得が難しい訳

 私は別にシンギュラリティ信奉者ではありませんが、この記事を書いてる人もどうなのかなと思う?

trendy.nikkeibp.co.jp
 何と言うか説得力が全くない。たぶん、取材した学者についてはそれなりにちゃんとした理論なり前提なりがあっての反論だと思うんですが、記事を書いてる人間が意見を適当にツギハギしているせいで、台無しになっている。



・「シンギュラリティ」はビジョン(幻)である。
・AI(人工知能)が人間を超える日は来ない。
・新しいことを考えるきっかけにはなる。
 1番目と3番目は良いとして、問題は2番目。電卓ですら人間の計算能力は超えてるし、昨今の囲碁や将棋のAIは言わずもがな。レンブラントの絵もバッハの曲も造っているし、新しい料理のレシピも画像診断も行える。ようするに現時点で人間の能力を超えてる部分は結構あるはずなのだ。

彼が話題に出した汎用AIは「強いAI」とも呼ばれる。筆者の理解では強いAIも錬金術永久機関と同じで実現できない。実現できると主張する人が時折出てくる点も錬金術永久機関に似ている。
 で、人間を超えた基準を『強いAI』にする時点で随分と都合が良い。プニキのホームランダービーに出てくるロビカス(39本もホームランを打たれても負けを認めないラスボス)か何かかな?何度も書くが現状でも定量的に人間を超えている部分は結構あるのだ。それを差し置いて、シンギュラリティが来ない理由を『AI(人工知能)が人間を超える日は来ない』している時点で、論理破綻していると思うんですよね。そもそも『強いAIとは何か?』って厳密な定義なんてありません。超一流のコンピュータサイエンティストから哲学者まで、みんながみんな違う答えを言いますよ、こんなの。

数理脳科学の第一人者、甘利俊一氏は著書『脳・心・人工知能』(講談社ブルーバックス)の末尾で「ロボット自身は一回限りの人生をいとおしみながら終えていくことはないのだから、クオリア(質感、しみじみとした感覚)のようなものが生ずる必要がない」と書いている。
 この意見もすごい。クオリアがそもそも存在する証拠はあるんでしょうか?と言うところから話が始まりそうなんですが。そしてクオリアが存在していたとして、強いAIの実装にクオリアが必要だと言う証拠は何なんでしょう?

尊敬する2人の経営者に会い、以上の理屈を力説し、甘利氏の本と「非生物である機械は意識を持てない」という同様の主張でシンギュラリティを否定している専門家の本をまとめて渡したらどうなるか。
 前提条件ですらまとまってない話なのに、筆者の意見を納得できるか?って話になると思うんですよね。もっと言えば、その尊敬する2人の経営者がアメリカや中国の超一流の科学者の本を渡してきたら、筆者は日本の学者が言ってたからって意見で反論できるんですかね?今や、日本のコンピュータサイエンスの業界は産学官共に世界から明らかに劣ってるでしょう?日本の一流学者の反論の方が正しいってのは、ネームバリュー的に不可能じゃないでしょうか?

 と言う事で、成り立たせにくい前提条件を付けた時点でこの記事は明らかに詰んでいる。そしてシンギュラリティ信奉者側(主にカーツワイル)の意見をきちんと聞いていない。これじゃ反論ではなくただのワラ人形論法だ。短文で反論したいなら相手の要点をしっかりと突くべき。例えば、ノーム・チョムスキー言語学者)のように「計算能力の量的拡大は知性の本質とは結びつかないプロセッサーの能力が上がれば知的に振る舞う証拠はない)」と論じてみたり、ジャン=ガブリエル・ガナシア(フランスの哲学者)のように「『収穫加速の法則』は帰納的であり、経験則だけに基づくものである(経験的に続く能力向上が、今後も続くと言う証拠はない)」と切ってみたりするべき。これならカーツワイルが証拠の一つとして示している収穫加速の法則に対する反論になっている(正しいかどうかは別だが)。
 記事を書いてる本人すら良く分かってない『強いAI』だの『クオリア』だのを持ち出すから筋の通らない反論になるんだと思うけどね。最近はこういう記事ばっかりで、非常に萎える。