ネットで調べる『なぜ人を殺してはいけないのか?』の理由
2015年6月19日追記:一部マーキング&表現を変えたのと題名変更しました。
今日やってた相棒で『とうだいのほうがくぶのめいよきょうじゅ(笑)』が言ってたセリフですが、おそらく年に1回くらい同じ言葉を見る気がする。
例えば、テレビ番組での話。
「大事な決まりとなっているからで、この決まりを破っていい事になってしまうからだ」
・瀬戸内寂聴(天台宗:作家)
理屈も何もない。これは仏教で言えば「戒律」である。人間として、絶対にしてはいけない事なのである
・作家の野坂昭如
「殺しなさい。ただ、君も殺される」
②勝谷氏:今は、戦争中ではない。
③竹田氏:自分がされて嫌なことは、人にするな。
④山口氏:人の命は、すごいんだよ!!
⑤加藤氏:神様に与えられた命。いいと言われるまで生きる義務がある。
⑥金氏:自分自身が殺されたくないでしょ。
⑦津川氏:命を大切にしない奴は、あっちの山へ飛んで行け。
⑧桂氏:あかんもんは、あかんねん。
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〔司会:辛坊治郎氏〕「自分が死にたかったから、死刑になりたい為に殺した」と、言う人に対して、どう言うのか?
〔金氏〕世の中には、異常神経の人達が居て、その人達を納得させる言葉は無いと思う。
〔宮崎氏〕それは本当のことか?本心からの言葉なのか?と疑問に思う。
〔勝谷氏〕そこに日本のゆるさがあって、アメリカで銃をブッ放していたら、必ず、その場で射殺される。日本も、その場で殺してしまえばいい。長い裁判をする必要はない。
〔山口氏〕先祖から伝わり続けている命だから大切。誰かが歩んで来た人生を断つって事は、とても罪深い事なのだよ。
〔加藤氏〕神様に与えられた命。いいと言われるまで生きる義務がある。自分の命も、他人の命も、侵害する権利は一切無い。
〔勝谷氏〕ソマリアに行って、戦争の最中に行って、知って来い。ソクラテスが「ただ生きるな、善く生きよ!」と言った。
〔司会、桂氏〕あかんもんは、あかんねん!会津藩士の「ならぬものは、なりませぬ」だ。
〔勝谷氏〕地獄絵本が売れ始めた。やっとまともな日本になり始めた。
(リンク先サイトより一部抜粋)
ちなみに私が一番納得できた答えは、桂ざこば氏の「あかんもんは、あかんねん。」です。はっきり言って反論の余地がない。かつて大江健三郎がそのような質問をすること自体がだめだと朝日新聞のエッセイで書いていたことに対して(思考停止で反吐が出そうですが)、それは答えになってないだろと永井均、小泉義之が似たような答え(ダメなものはダメ)を一つ提示していた。
ちなみに他の人(①~⑦)の答えは論理的か宗教的だから簡単に反論出来て全部ダメだなって感じです。例えば⑥の金美齢氏の答えなんて、じゃあ自殺願望のある人間は人を殺して良いのかって言えるし、⑤の加藤氏の答えは属する宗教によっては殺人が正当化できる恐れがある。
殺人を語る上で考察に加えた方が良いと思うのは、動物による同種殺しだと、個人的には考えます。生態学でタビネズミ(レミング)の個体群崩壊を習いますが、個体群密度が低いとき(群れに比べてエサが多いとき)には種間闘争を起こそうとする個体はエネルギーの消耗が激しくなり(と言うか闘争により生存率が下がり)繁殖しにくく、逆に個体群密度が高くなるとき(エサが少ない)には種間闘争を起こす個体がエサや縄張りを獲得しやすく繁殖しやすいとのことです。これにより、個体群の増大(爆発)と減少(崩壊)を繰り返すのですが、面白いことに闘争を好む個体と闘争を避ける個体はどちらも自然淘汰でなくなることはありません。血縁淘汰(血縁選択)により、闘争を好む個体であっても、相手を選んで闘争を行うようです。
平時のタビネズミが種間競争に消極的な個体が多いってことと同じように、人間も『同種殺し=殺人』が良い・悪いって感情以前に、平時には同種殺しを避ける(闘争を避ける)遺伝子(もしくは思想、ミーム)を持つ個体が生き残ってる可能性が高いはず。そう考えると、ドーキンス的な考え方ですが遺伝子が殺人を否定していると言ってもあながち間違っていないのではないだろうか?常に闘争を好む異常個体は、人間なら刑務所行き(or精神病院行き)で、おそらく自然淘汰されます。
ようするに「あかんもんは、あかんねん。」
ただし完全に無くならないのは、多くの人間は血縁淘汰で自分に近い種族への闘争を避けているから(と言うか闘争したいと思わないから)。もし仮に世紀末チックなモヒカンだらけの世界であるならば闘争(極端に言えば殺人)を肯定しなければ生き残れないから闘争を肯定するような集団に変わるのではないかと思います。少なくとも常に闘争を避ける異常個体は自然淘汰で滅びるわけですな。
さらに根本的なことを考えれば、これって一体誰が言い出したのかってことも重要です。
この質問の中で、「いけない」と言っているのは誰なんですか?
倫理が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「倫理」に聞け。
宗教が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「宗教」に聞け。
法律が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「法律」に聞け。
いや。「いけない」と言っているのは私だ。
という事であれば「自分で考えろ」。それだけの話でしょう。これは。
個人的には、簡潔で分かりやすくてカウンターが効いててすごく好きな答えです。
まとめ
社会学的理由「役割理論によると殺人者という役割になってしまい今後コミュニケーションが不利になるから。」
心理学的理由「道徳的不快感と生理的不快感が生まれるから。」
経済学的理由「一人死んで一人刑務所に入ると合計2人分の国内GDPが減るから。」
国際政治学的理由「無差別な攻撃者が一番損をするのは、アクセルロッドのゲーム理論より明らかだから。」
生物学的理由「人を殺す人間は刑務所に入るか死刑になり、適応価が下がり自然淘汰されるから。」
政治学的理由「これも小泉改革のツケにされるから。」
文学的理由「ラスコーリニコフは苦悩したから。」
歴史学的理由「一人殺したら殺人者になり、無罪になるには組織的に大量に殺さないとダメだとチャップリンが言ってたから。」
哲学的理由「殺していい理由も殺してはいけない理由もない、カントのアンチノミーであり理性の能力を超えているから。」
物理学的理由「エヴァレット解釈によれば人を殺せなかった可能世界は必ず発生するので殺せない。」
化学的理由「撃っても煮ても焼いても質量保存の法則により総質量は変わらないので無駄だから。」